ソウル滞在中に,国際文化サービスクラブが催行する,板門店共同警備区域(JSA)ツアーに参加した.
北朝鮮の村が対岸に見える川沿いの鉄条網
川沿いには,延々と鉄条網が続く.最初は目立たなかった見張り所だが,北朝鮮に近づくにつれて,その数が多くなる.緊張感も高まってくる.
集合場所は東和免税店1階ロビー.パスポートを提示して,ツアークーポンを受け取り,指定されたバスに乗り込む.同じツアーのバスが2台あり,どちらも満員だ.凄い人気だ.
定刻より少し早く出発.ところが,バスガイドのアンさんが話を始めようとしたところ,マイクの調子が悪く,まともに聞こえない.急遽,バスを止めて,スペアのマイクを取り寄せることになった.そんなゴタゴタで,我々が乗り込んだ2号車は,1号車に大きく引き離されてしまった.
板門店までは,自由道路と名付けられた,ハン川およびイムジン川沿いの道路を進む.この川は北朝鮮から流れてきているため,川を通って,北朝鮮から兵士やスパイが進入してくる恐れがある.このため,川沿いには鉄条網が敷設され,厳重に警備されている.特に,暗い夜に進入される危険性があるため,昼の警備に20%,夜の警備に80%の人員が配置されているそうだ.
鉄条網を通して対岸を見ていると,やがて,北朝鮮の村が見えてくる.近くて遠い.そんな言葉がピッタリとあてはまる感じがした.
板門店共同警備区域(JSA)ツアーのバスガイドさん
バスガイドのアンさん.サッカー選手のアン・ジョンファンと同じ名字ですというのが自己紹介だった.アンという姓は珍しいそうだ.歴史や施設について,丁寧に解説してもらい,良い勉強になった.
板門店共同警備区域(JSA)ツアーは,他の観光ツアーと異なり,様々な制約がある.
まず,ツアー予約時に与えられる注意は,1)パスポートを持参すること,2)服装に気を付けること,の2点だ.パスポートは,身分証明のために当然と言えるだろう.服装についても,戦争中(現在は休戦中だが終戦はしていない)に敵軍と接している地域に行くわけだから,色々と規制されるのは当然だろう.ウェブサイトには,以下の服装が禁じられていると書かれている.
Gパン,Tシャツのまま,運動服,半ズボン,サンダル,ミリタリースタイル,ミニスカート,露出の多い女性服,男性の長髪または整髪されていないヘアスタイル,その他共同警備区域・米軍支援団司令官が許可しない服装.
どれも納得できそうなものだが,Gパンがダメな理由がよくわからない.その疑問に対しては,バスガイドのアンさんが明快に応えてくれた.アンさんによると,「ジーンズは元々アメリカのものであるから,韓国側にジーンズを着た人がいると,『韓国は未だにアメリカの援助を受けている国である』という宣伝に利用されてしまう.だから,禁止されている.」のだそうだ.なるほど,そういうものかと,納得させられた.
この他,板門店に向かうバスの中で,様々な注意事項の説明を受けた.全部は覚えていないが,例えば,以下のような注意だ.
このような禁止事項をツアー参加者の誰かが破った場合,警告を受けるか,あるいは最悪の場合,ツアーがその場でキャンセルされてしまうそうだ.これまでにも,手袋を手に持って警告を受けたケースや,帽子を手に持って警告を受けたケースなどがある他,昼食時に飲酒した参加者が非武装地帯(DMZ)に入る際のチェックに引っかかり,ツアーがキャンセルされてしまったケースや,参加者が北朝鮮軍の兵士に手を振ったために,そこでツアーがキャンセルされてしまったケースなどがあるとのことだった.
しかも,参加者の失態によってツアーがキャンセルされると,ツアーガイド(バスガイド)はその責任を取って退職しなければならないという話だ.その一方で,参加者が指示に従わず禁止事項を守らなかったにもかかわらず,そのツアーの警護担当兵士がツアーキャンセルを指示しなかった場合,その兵士には懲役刑が科せられるとのことだ.いずれにせよ,参加者が指示を守らないと,とんでもないことになる.そのため,必然的に,ツアーには緊張感が漂う.
板門店共同警備区域(JSA)へ向かう国連軍のバス
韓国軍兵士が運転するバス.正面中央には国連のマークがある.2台目のバスの後方に見えるのが,ブリーフィングを受ける建物.1台目のバスの横に見えるのは,お土産物屋.
ゲスト用ネームタグ(左)と軍事停戦会議本会議場(右)
ゲスト用ネームタグは左胸付近に着用することを義務づけられている.軍事停戦会議本会議場は,韓国と北朝鮮の軍事境界線上にある.さらに,国連軍と北朝鮮軍の代表が会議を行うテーブルは,軍事境界線の真上にあり,テーブル上のマイク(写真にある黒いもの)が軍事境界線に沿って置かれている.
警護担当の韓国兵と奥の建物前で直立する北朝鮮兵
自由の家と呼ばれる展望台から,板門店共同警備区域(JSA)付近の様々な建物を眺めることができる.北朝鮮兵の姿もはっきりと見える.警護担当の韓国兵は,ツアー参加者が北朝鮮兵を刺激しないように,その動きに常に注意を払っている.
北朝鮮側の見張り所
見張り所の窓から,北朝鮮兵がツアー参加者の様子を窺っている.全員の写真を撮影しているそうだ.
北朝鮮の国旗掲揚台と街
韓国側の見張り所から,板門店に最も近い北朝鮮の街が見える.その街に設置された国旗掲揚台の高さは,なんと160メートル.世界一高い掲揚台だそうだ.旗の幅は30メートル,重さは295kgもある.
非武装地帯(DMZ)に到着すると,パスポートや服装の検査を受け,問題がなければ,国連軍の青いバスに乗り換える.最初に向かうのは,国連軍の最前線基地で,そこでブリーフィングを受ける.
ブリーフィングを受ける際に,国連軍のゲストであることを示す緑色のネームタグが配布される.その後,非武装地帯(DMZ),共同警備区域(JSA),板門店などに関する説明を受け,訪問者宣言書にサインをする.その訪問者宣言書には以下のような文言がある.
「敵の行動によっては危害をうける又は死亡する可能性がある.(中略)国連軍,アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保障することはできないし,敵の行う行動に対し,責任を負うことはできない.」
非武装地帯(DMZ)を通り,板門店共同警備区域(JSA)に到着すると,バスから降りて,参加者全員が2列に整列する.そして,警備担当の兵士に引率されて,軍事停戦会議本会議場と自由の家(展望台)に向かう.
2号車のグループは,まず,軍事停戦会議本会議場に向かった.建物から出ると,目の前に,道を挟んですぐ近くに,会議場がある.その会議場も含めて,すべての建物の両側には,北朝鮮が警備する区域の方を睨み付けたまま,微動だにしない兵士が立っている.すべての兵士は,その半身を建物で隠し,不測の事態に対応できるようにしている.視線を上げると,会議場の向こう側にある建物の前で,北朝鮮の兵士が直立不動の姿で,こちらを見ている.一気に緊張感が高まる.
軍事停戦会議本会議場内に入ると,奥の扉の前に,直立不動の兵士がいる.我々が利用した扉は韓国側,兵士の背後にある扉は北朝鮮側へと通じている.この兵士の背後に回ることは,北朝鮮側へ行くこと,すなわち亡命を意味するため,固く禁じられている.以前,我々とは逆の立場で,ソ連の記者が北朝鮮側から板門店の取材をしていたときに,突然,韓国側の扉を開けて突っ走ったそうだ.このような亡命の前例もあるため,警備は厳重になっている.
軍事境界線の真上に置かれた会議テーブルも,直立不動の兵士によって見張られている.会議場内では撮影が許可されているため,参加者は兵士と一緒に写真を撮ったりしていた.ややリラックスした雰囲気になったのも束の間,会議場から再び外へ出るときには,バスガイドさんからも凄い緊張が伝わってくる.2列に整列して,会議場から元の建物へ戻る間,決して振り返って北朝鮮側を見てはいけないと注意される.
次に我々が向かったのは,自由の家と呼ばれる展望台だ.すぐ近くに北朝鮮の見張り所があり,我々の動きを監視している.自由の家からは,軍事停戦会議本会議場や,その奥の建物前に立つ北朝鮮兵の姿もよく見える.
反対の方角に目を向けると,北朝鮮の街と国旗掲揚台が見える.この国旗掲揚台の高さは160メートル,旗の幅は30メートル,旗の重さは295kgもあり,世界最大の国旗掲揚台とされている.これ程大きな国旗掲揚台を建設したのは,軍事境界線を挟んで反対側にある韓国の国旗掲揚台との高さ競争に勝つためなのだという.韓国側が100メートルの国旗掲揚台を建設したところ,それに対して,北朝鮮側は160メートルの国旗掲揚台で応酬した.実にくだらない争いのように見えるが,自国と敵国の国旗掲揚台を見る人々にとっては,心理的に重要な意味もあるのだろう.
軍事境界線から2kmの幅(北側に2km,南側に2km,合計4km)に設けられた非武装地帯(DMZ)は,永らく人手が入らない状態が続いているため,豊かな自然が残り,野生の動植物の楽園になっている.しかし,それと同時に,無数の地雷が撒かれている,極めて危険な地域でもある.
そんな非武装地帯(DMZ)の内部に村がある.驚くべきことに,兵士が住んでいる村ではなく,普通の韓国市民が生活している村だ.非武装地帯(DMZ)ができる以前から,その地に住み続けている人達が生活しているそうだが,拉致の可能性も含めて,いつも危険と隣り合わせの生活を強いられている.このため,農作業時には常に軍が警備するそうだ.また,その危険かつ不便な生活の見返りとして,その村の住人については,兵役や納税の義務が免除されているそうだ.
今回参加した板門店共同警備区域(JSA)ツアーは,参加するに値するツアーだった.ソウルに行く機会のある人は,参加してみると良いだろう.沖縄や,米軍基地の近くに住んでいる人達を除けば,日本では経験できない世界が,そこにある.
しかも,日本人は,第三者として板門店共同警備区域(JSA)を傍観できる立場にはない.韓国併合,第二次世界大戦,朝鮮戦争と,板門店共同警備区域(JSA)が生まれる過程に日本は大きく関わっている.板門店共同警備区域(JSA)ツアーに参加する際には,日本と韓国,北朝鮮の歴史も顧みないわけにはいかない.
バスガイドさんは,板門店にまつわる歴史を説明する中で,何度か「日本による侵略」という言葉を使った.これは,なかなか聞くのが辛い言葉だった.戦後60年経つ現在においても,歴史認識の食い違いが問題となっている.お互いに,事実に基づいて,過去を正しく伝えようとする努力が求められている.