大学の教官がすべきこと
2003年12月14日(日)

自分が大学で果たすべき役割について考えることがよくある.大きく分けると,教育と研究のはずだ.最近では,この2つに加えて,この2つとは異なる形での社会貢献をすべきであると言われるようだが,一体何をしろというのだろうか.まともな教育以上に価値のある社会貢献なんて,私には全く思い付かない.大学教官による,それほど素晴らしい社会貢献の方法を思い付いた人は,今世紀最大の思想家として歴史に名を残すだろう.でも実際には,ゆとり教育が大事であるとか,愛国心を育てるために国旗掲揚と国歌斉唱を義務づけるべきとか,ベンチャーが日本経済を救うとか,そういう類の妄想に取り憑かれた人達が言ってるだけだろう.全く話にならない.

ゆとり教育なんて,所詮は錬金術みたいなもので,無から有を生み出そうとする試みだ.親なら,少なくとも自分の子供だけはゆとり教育から守りたいと思って当然だ.実際,この不景気の最中に,学習塾への支出は増えている.また,戦時中のように愛国心を押し付けなくても,国家の指導層が誠実であれば,国民は自然に国を愛するものだ.まず,政治家と官僚が人から愛しまれるほど誠実になれば良い.ベンチャーなんて,IT革命が日本経済を救うと声高に叫んでいた新興宗教の信者達が,懲りもせずに今度はベンチャーだと言っているだけで,何の説得力もない.

日本の方針としては,大学の研究者は,もっと特許を取るべきであり,もっと起業すべきである,ということらしい.これまでは手足を縛られているようなものだったから,搾取されることなく,大学の研究者が自分の知的財産を自ら活用できる環境が整えられることは素晴らしいことだ.環境が整えば,起業を目指す人も当然増えてくるだろう.しかし,それが大学の教官の主要な使命であるとは到底思えない.せいぜい,研究をする中で生まれる副産物という位置づけにとどめておくべきものだろう.中には,それを主産物と考える研究者がいても良い.そういう多様性が大事なのだ.大学において,産業界に役立つ研究,金儲けに繋がる研究をすべきであるとの風潮があるようだが,そういう方向へ誘導する制度を作るのには大反対である.もちろん,そういう研究をする必要がないとは言わない.繰り返すが,多様性を認めることが大事なのだ.大学の研究者がこぞって近視眼的な研究ばかりに没頭しているような国に明るい将来はない.

結局,現時点での自分自身の結論は,大学の教官がすべきことは質の高い教育である,ということだ.もちろん,学生に知識を詰め込むだけが教育ではない.研究者としての基盤を築かせるなど,大学特有の使命がある.もっと広く,未来を担う人材を育てる,と捉えるべきかもしれない.そう考えた場合,教官は一体何をすべきなのか.講義なんて大したことではない.そんなものは,小学校から高校までどこでもやっている.大学の教官は何をすべきなのか.各自が答えを探す努力をすれば良いわけだが,少なくとも,同じ研究室の学生から,「あの先生は何をしているのか分からない」と言われるようではダメだと思う.それでは全く教育になってないのではないか.忙しいのは言い訳にならない.教育よりも大事な用事とは何なのか.

では,何をするか.自分の考えていることを学生に伝える.よく議論する.学会発表や論文執筆などを経験する機会を与える.これだけのことを実行すると,学生の忙しさと負担は尋常でなくなる.また,みんな仲良く卒業論文を書きましょうなんてじゃれあっているわけではないから,結果の平等なんてのも実現しようがない.研究テーマによって,うまく行くものもあれば,そうでないものもある.それは仕方ない.

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