授業崩壊があまりにも普通になりすぎたのか,その言葉を耳にする機会も減ったようだ.しかし,移り気で人真似が信条のマスメディアが取り上げるかどうかに関係なく,教育は常に重要な問題だ.私の理解では,授業崩壊の原因は,少なくともその大部分は,その問題児の親にある.親がまともじゃないから,子供が悪影響を受けて,常軌を逸した行動を取るようになる.まじめな話,この理解は間違いだろうか.専門家がいたら教えて欲しい.
最近では,大学の教官が保母さんか保父さんみたいな仕事をするらしい.単位が揃えられずに留年しそうな学生がいれば,教官はその学生の相談役になってやり,さらに保護者に連絡して,事情を説明したりもするそうだ.逆ギレしてもらっては困るから言っておくが,教官が学生の相談にのらなくてよいと主張しているのではない.大学生にもなって,自分の面倒すら自分で見られない,いや大学生は大学に行って勉強するものだということすら理解していない学生が少なからず実在しており,しかも,その責任を大学の教官に擦り付ける奇怪な親も少なからず実在していることを指摘しているのだ.勉学以外に打ち込みたいことがあるなら,自主的に退学するなり,休学するなり,留年するなり,いくらでも方法はある.勉学との両立だって可能な場合も多いだろう.もちろん,悩みがあるなら相談に行けばよい.教官にはそれを受け止めるぐらいの度量は必要だ.しかし,大学は保育園とは違うということぐらい,学生も親も認識すべきだ.
こういう信じがたい状況が,いたるところで発生しているのだろう.小中学校の教師などは,想像を絶するような過酷な労働環境に放り込まれているのではないか.生徒は全然言うこと聞かず,注意すれば親が学校まで文句を言いにやって来るそうだ.生徒の面倒を見るだけでも大変だろうに,その親の世話まで要求するのは,あまりにも酷というものだ.それなら,もっと給料を払ってやれ.少人数学級の実現も徹底して,親の面倒を見る余裕ができるように配慮してやれ.えっ,教師の給料は十分に高いって? そう言うなら,自分が教師をすればいい.給料の高い魅力的な仕事なんだったら,自分がやればいい.民間企業でリストラに怯える必要もないのだから.学級崩壊とかが普通になって,ふざけた親の面倒まで見なければならないのに,大した給料ももらえないというのでは,優秀な人材が集まるはずがない.ここでも逆ギレしてもらっては困るから言っておくが,今の教師が優秀でないと主張しているのではない.優秀な教師を集められるシステムになっていないと指摘しているのだ.例えば,国会議員には2世が多い.これは,親が子供を国会議員にしたいと親が望み,子供も親のように国会議員になりたいと望むからだ.この事実から,いかに恵まれた職業であるかが推測される.教育が本当に重要なら,教師にもそれぐらいの待遇を与えたらいい.
今のような状況が続けば,あるいは状況がさらに悪くなれば,賢明な親は自分の子供を守ろうと思うだろう.要するに,選ばれた子供だけが通える学校に自分の子供を行かせたいと願うだろう.それは私学かもしれないし,公立かもしれない.少なくとも,無条件で子供を受け入れてくれる近所の学校でないことは確かだ.もちろん,お金はかかる.しかし,子供を救うためなら安いものだ.こうして,金持ちと貧乏人が別世界に暮らす社会へと我々は向かうことになる.それでいいのか?
私が留学していた米国の都市では,それぞれの地区にある学校の建物を改築するかどうか,教師の給料を上げるかどうか,などを税金を納めている住民の投票によって決めていた.これが意味することは明らかだろう.金持ちが集まる郊外の高級住宅エリアには,非常に綺麗な学校が建ち,優秀な先生が集まってくる.一方,貧乏人が多いダウンタウンエリアだと,学校はいつまでたってもボロボロのままで,条件の良い学校へ行けなかった先生が残ることになる.このような状況だから,金持ちは金持ちとしか住まない.貧乏人は貧乏人としか住めない.こうして恐ろしく地域格差の大きな社会となる.極端に聞こえるかもしれないが,それが現実だ.もちろん,機会の平等なんて存在しない.そんなものは幻想だ.
さて,この日本は,どういう社会を目指すつもりなのか.義務教育にしても,大学教育にしても,真剣に考えておいた方が良い.