「人生の短さについて」の中でセネカはこう言っている.
人生は十分に長く,その全体が有効に費やされるならば,最も偉大なことを完成できるほど豊富に与えられている.けれども放蕩や怠惰の中に消えてなくなるとか,どんな良いことのためにも使われないならば,結局最後になって否応なしに気付かされることは,今まで消え去っているとは思わなかった人生が既に過ぎ去っていることである.
自分の銭を分けてやりたがる者は見当たらないが,生活となると誰も彼もが,なんと多くの人々に分け与えていることか.財産を守ることはケチであっても,時間を投げ捨てる段になると,貪欲であることが唯一の美徳である場合なのに,たちまちにして,最大の浪費家と変わる.
多忙な人間には何事も十分に成し遂げることは不可能である.実際多忙な人に限って,良く生きることが最も稀である.また,生きることを学ぶことほど難しいものはない.生きることは生涯を掛けて学ぶべきことである.そして,恐らくそれ以上に不思議に思われるだろうが,生涯を掛けて学ぶべきことは死ぬことである.
偉大な人物,つまり人間の犯すもろもろの過失を超絶した人物は,自己の時間から何一つ取り去られることを許さない.
そして,本当に大切なことを成し遂げるために,自分の時間を自分のために使えと言う.賢者から学べと言う.これらは2000年前のローマ帝国時代の言葉だが,我々にその日常生活を省みさせるに十分ではないか.
科学技術の進歩は目に明らかである.人類の生活は確実に変化してきた.人類の英知はどうであろうか.賢者に学ばない者が入れ替わり立ち替わり地上に現れるわけであるから,人類の進歩など望むべくもないのだろうか.