2002年12月17日(火)
モラルハザードをゲーム理論で考える

ゲーム理論という言葉はどこかで聞いたことがあるだろう.あるいは,囚人のジレンマという言葉も聞いたことがあるかもしれない.我々が利己的な遺伝子によって操られている操り人形にすぎないのかどうかは知らないが,自分にとっての利益を最大化しようと日頃から画策していることは間違いない.もちろん,利益はすべて金銭に換算できるわけではない.他人に献身的であることなどは,金銭的にではなく,心を豊かにしてくれるという意味で有益なのだ.

我々は他者との関係の中で生きるしかないため,自分にとっての利益を最大化するためには,他者を意識しなければならない.すなわち,戦略的に物事を考え,戦略的に行動する必要がある.戦略的に考えるということを論理的に扱う学問がゲーム理論である.たとえゲーム理論という言葉を知らなくても,我々は自然と戦略的に考え,行動していることが多い.彼女にプレゼントを贈るときにも,何らかの約束をするときにも,無意識であるかもしれないが,我々は戦略的であろうとする.もちろん,感情が理性を吹き飛ばしてしまう結果,失敗することも多い.オークションで予定外の大金を払う人が好例であろう.

「戦略的思考の技術」という本を読んだ.身近な例を用いてゲーム理論について解説した書籍であるが,その中にモラルハザードについての記述があった.ちょっと引用しておこう.

会社のために努力する社員を優遇することで,やる気を引き出すインセンティブを社員に与えて労働の生産性を向上させ組織を活性化させようとするのが,近年流行の成果主義の給与体系の目的である.このとき,「見える成果」に対して給与や昇進が連動するものでなくては成果主義の体系は機能しない.結果的に給与の差だけ生じさせるのでは意味がなく,むしろ,被差別感から社員のやる気をそぐことにもなりかねないのだ.人事部のブラックボックスの中で行われた給与査定が通知されるだけであったり,あいつは仕事ができるという社長のツルの一声で昇進が決まるようだと,モラルハザードを解消するインセンティブにはならないのである.
公共機関の仕事に無駄が多いのも,モラルハザードの一つである.これは,公務員には無駄を省いて節約するというインセンティブが弱いからであるが,この問題の源泉は公務員の仕事の成果を評価する作業も,さらにその成果に報いて報酬を与えるという仕組みもないからであって,断じて公務員のモラルに問題を帰着してはならない.この見地から天下りが問題になっているが,見方を変えれば天下りは公務員には数少ない成果主義の報酬であるから,天下りは公務員のためのインセンティブ契約として機能しえたのである.そういったインセンティブ契約が好ましいかどかはまた別の問題であるが.
インセンティブ契約がモラルハザードの解消に役立つためには,どのような成果を選ぶか,それをどう評価するかが大きな問題となる.すでに述べたように,成果は客観的に評価可能なものでなくてはならないが,観測可能な成果ならば何でも効果的なインセンティブ契約に結びつくというわけではない.子供に勉強させるために,本を読んだり,テストで良い点をとるという成果に対して,金銭や物によるインセンティブを与えると,確かに読書の量は増え,テストの点は上がるという意味での効果がある.しかし,これらのインセンティブ契約によって,子供の意識の中では見かけの上だけで本を読んだり,テストで点を取るということが目標になるから,かえって読書や学ぶことを楽しまなくなるような危険性に注意しなければならない.成果はそれ自体が目標ではないから,報酬を対応させる成果の選択には注意が必要なのである.

昨今,大学の教官にも成果主義の給与体系を導入しようという動きがある.大学の教官には,教育と研究という2つの重要な使命が与えられているのが通常である.ところが,私がいるところでは,教育に関連する成果を評価しようとか,その成果を報酬に反映させようとかいう積極的な議論は聞いたことがない.要するに,教育に情熱を傾けることにはインセンティブがない.一方の研究に関しては,論文数が成果として認識されるようだ.したがって,多くの論文を書くことにはインセンティブがある.しかし,質については関心が払われない.この結果は明らかであろう.教育すら等閑(なおざり)にして,くだらない論文の量産に明け暮れる研究者を組織的に増やすのである.責任ある人達が真に戦略的に考えることをしないから,こういう事態になるのだろう.

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