2002年10月03日(木)
日本的文化への遺憾の意

当然のことながら,大学では数多くの講義が行われる.ほとんどの講義は日本人教官によって日本語で行われ,その指定教科書は日本語で書かれている.少なくとも理工学分野では,英語が国際語として認知されており,国際会議での公用語は間違いなく英語である.このため,英語圏以外の国々でも,英語の教科書を用いて英語で講義することが当然のようになっている場合もある.日本の大学でも,世界最低レベルと言われる日本人の英語力を何とかしようと,少なくとも英語に触れる機会を増やそうと,英語の教科書を利用したり,英語での講義を増やしたりという動きはある.それはそれで良いことだと思う.その一方で,言語は文化の象徴的なものだと考えるので,日本語の教育を等閑(なおざり)にして,幼少期から無暗に英語を押し付ける行為については,いかがなものかと思う.そういう観点から,義務教育レベルの国語教科書を何とかしろよとも思う.

言語に関わる障害のため,諸外国に比べて,日本の大学は非常に閉鎖的になる傾向がある.日本語が一切できない研究者や教育者を,仮にその人が一流であったとしても,喜んで大学に迎え入れるかどうかを想像してみると良いだろう.それ以前に,そもそも人材の流動性が低すぎて,日本人の移籍ですら極めて困難な状況ではある.このため,日本の大学にいながら,外国人教官による英語での講義を受ける機会は滅多にない.ところが,この10月からの半年間,外国人教官が大学院の講義を1つ担当してくれることになった.もちろん,講義は英語のみである.

その第一回目の講義に参加してみた.日本人学生に対してどのように接して良いか手探り状態のためか,その先生は非常に気を遣っていた.講義中,「わからないことはないか?」,「自分の話すスピードは速すぎないか?」など,学生に頻繁に語りかけ,学生の反応を確かめようとしていた.ところが,学生は何も返事をしない.黙ったままだ.

これまで英語に接する機会も滅多になかったのだから,講義中に全部を聞き取れないのは仕方ない.しかし,「わからないことはないか?」,「自分の話すスピードは速すぎないか?」と先生が尋ねてくれているのに,何も返事をしないというのはいかがなものか.いくら英語力がなくても,"Yes"か"No"ぐらいは言えるだろうに.黒板に向かってお経を唱えているような先生に対しては,別に義理立てする理由もない.どんな態度でも良いだろう.大学が独立行政法人化されて,そういう教官が消え去るのを待つことにすれば良い.しかし,学生に対して,講義をより良いものにしようと努力している先生に対して,その問いかけに無反応というのは信じがたい.これが倒産寸前の大学ならともかく,それなりに名の通った大学の,しかも大学院の現状だというのが辛いところだ.

ただし,学生を一方的に責めるのは間違っている.そういう態度を取ることを是とする教育を行い,若者がそうなるように仕向けてきた世代が必ず存在するはずだ.その部分を無視して学生を批判してみても,何も改善されるわけではない.そうかと言って,「自分をちゃんと教育してくれなかった社会が悪いんだ」と学生が開き直ってみても,「お前アホか」と言われるだけだ.日本はもっと真剣に教育問題を考えるべきだし,学生は生きていくための力を自分自身で身に付けるべきだ.

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