2002年07月28日(日)
空港機能停止

金曜日の夕方に会議が終了した.しかし,これだけ後味の悪い会議には参加したことがない.まず,会議の運営・事務が良くなかった.オープニングセレモニーが開催された日曜日の夕方にレジストレーションデスクに出向くと,まだ受付終了時刻になっていないのに,既に後片づけが始まっており,時間に間に合うようにわざわざ足を運んだ会議参加者多数が手ぶらで追い返された.信じられないぐらいに酷い対応だ.さらに,開催地であるバルセロナの治安が悪すぎる.少なくはない参加者がスリや強盗の被害にあっていた.私の知り合いだけでも数人.国籍を問わず,多くの参加者が口にしたのが「二度と来ないよ」だった.私自身は超警戒態勢に入っていたので,今回は何も被害はなかったものの,会議は安心して周囲を散策できるような街で開催して欲しいものだ.

会議が終われば速攻で帰国というわけで,土曜日,朝早い列車で空港へと向かった.バルセロナの空港でお土産を買いそろえ,まずは経由地アムステルダムへ.出発が数十分遅れたが,乗り継ぎ時間には十分な余裕があったため,慌てることなく関西国際空港行きの飛行機に搭乗した.これで海外の旅も終わり...

ゲートを離れ,いよいよ離陸かと思っていたところ,機体点検のため離陸が遅れるとの機内アナウンスが流れた.まあ,良くあることなので機内で大人しく待つ.ところが,一向に作業が終わる気配がない.何度か離陸の遅延を詫びる機内アナウンスがあった後,遂に,壮絶な1日への幕が切って落とされた.

「整備作業員らによる突然のストライキで離陸不可能なため,本便はキャンセル...」

乗客の名前が一人ずつ呼ばれ,順にチケットが返却される.ストライキがいつ終わるかなど全く予測不能なため,預けた荷物を取り戻し,KLMのカウンターでホテルを手配してもらうようにと指示される.急いでバゲッジクレームへ向かうと,そこには物凄い数の人,人,人.ほぼすべての国際便がキャンセルされたのだから当然だが,数千人が荷物と宿泊先と新しいチケットを求めて彷徨っている.全便の荷物が一度に出てくるはずもなく,荷物が出てくるのを6時間も待っている人もいる.一方,ホテルを手配するカウンターにも長蛇の列.何時間並んだら,いや深夜まで並んでも先頭に行けるかどうかさえ分からない.それ以前に,これだけの人数を収容できるホテルが見付かるとも思えない.それでも,とにかく並んでみるしかない.関西方面から会議に参加していた数名がグループとなり,手分けして情報を収集し,列に並ぶ.しかし,数時間経ったころ,カウンターのスタッフから「もうホテルは手配できない」と宣言される.

我々としては,ホテルに行くよりも,新しいチケットを入手することが重要である.実際,ホテルに行けば快適に寝られるかもしれないが,チケットを入手するチャンスは失われる.ホテル宿泊者へのKLMからの指示は,「予約デスクに電話をかけろ」だけだ.そんな電話が繋がるわけはない.

預けた荷物が出てくる気配は全くないので,チケットを入手する手段を探して再び情報収集に駆け回る.あるカウンターで「ゲートE10に行け」という情報を得て,広大な空港内をダッシュでE10へ向かう.まだ情報の鮮度が高いのだろう.バゲッジクレームに比べれば,遥かに人の数が少ない.しかも,カウンターではリルーティングの手配をしているようだ.列の最後尾に陣取り,他のメンバーが来るのを待つ.午後8時を過ぎた頃,ようやく先頭へ.某Y先生に交渉役をお任せし,行く末を見守る.ところが,もはやチケットの手配は不可能と宣言されてしまう.先生がスタッフに激しく詰め寄ったが,結局,その日のうちにチケットを手に入れる希望は断たれた.

手分けして荷物の確認と新たな情報の収集を行いながら,拠点のE10に止まり,水や食料,枕と毛布,洗面用具などの支給を受ける.ワゴンが到着する度にワゴンに群がる群衆の中にいる自分が哀れであった.日付も変わろうかという頃,各自が日本へ連絡を取り,いつ帰国できるか全く不明であることを伝える.アムステルダムから脱出できない...

深夜12時過ぎ,チケットを入手するための方策について話し合う.公式には予約デスクに電話をかけろということだが,繋がる見込みは皆無だ.しかし,ストライキが終わり,空港業務が正常化されれば,チケットカウンターが機能するはずだ.午前4時から各所のゲートが開き,6時からチケットカウンターが開くという情報に基づいて,午前4時前までベンチや床で仮眠し,その後チケットカウンターへ向かうことにする.KLMから流される情報だけに頼っていては,いつ帰国できるか分からない.

午前4時,パスポート・コントロールの係員の指示を振り切り,チケットカウンターへ.既にカウンター前には行列ができており,床で寝ている人達もいる.しかし,数十人だ.チャンスはある.さらに1時間以上待ち,午前5:30を過ぎた頃,KLMのスタッフが姿を現した.どうやら,チケットカウンターは開くようだ.チェックインカウンターも業務を開始しており,どうやらストライキは終息したようだ.

午前7時過ぎ,大阪に行きたいことをKLMスタッフに伝えて何十分が経過しただろうか.まだ懸命に帰国ルートを探してくれている.大阪へのルートを探すのは困難なようだ.行列は次第に長くなりつつあったが,E10やG10など,KLM指定の仮眠ゾーンで寝ている人達にはチケットカウンターが開いているという情報は伝えられていないのだろう.数百,数千人が殺到するという状態ではない.自分達で行動して正解だった.そんなことを話しているうちに,「全員分のチケットが取れた」と伝えられる.一同が歓声を上げる.

全員が発券されたチケットを持ち,カウンター前で記念撮影.行列に並んでいる人達も"You got platinum tickets!"と声援を送ってくれる.しかし,出発時刻は8:05,幸福感に酔っている余裕はない.ダッシュでチェックインカウンターに向かい,事情を説明して,最優先でチェックインさせてもらう.搭乗券を手に入れれば,さらにゲートまでダッシュ.なんとか間に合った.

ウィーンへ向かう飛行機で,1日遅れでアムステルダムを脱出できたことを喜び合う.後は,オーストリア航空で関西国際空港へ向かうだけだ.もはやストライキが起こらないことを祈って...

今回のストライキは10年に一度の規模だったそうだ.この酷い状況に直面して,自分から行動して情報を収集することの大切さを身に染みて感じた.指示されるがままに大人しくしていたら,いつ帰国できたかわからない.後は,預けた荷物がいつ手元に届くかが問題だ.既に,お土産のチョコレートはドロドロかもしれない.

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