2002年04月07日(日)
目的と手段

惰性というのは実に快適かつ恐ろしいものであり,人が新しい物事に挑戦しなくてもよい屁理屈を人に与え,その人を思考停止状態に追い込む.このような状態に陥ると,身の回りの些細なことにしか意識が届かなくなり,大所高所からの判断ができなくなる.そして,本人はそのことに気付こうとしない.そればかりか,自分勝手な論理で,気付かせてくれる人や物を遠ざけてしまうようになる.惰性を壊すのが怖いのだ.しかし,外部から惰性を壊されてしまうこともある.例えば,会社を解雇される場合がそうであろう.まさに青天の霹靂というやつである.

誰でも何かしらの目的を持って生きているはずだ.目的は1つとは限らないし,相反する目的もあるかもしれない.人によって目的の質や量も様々だろう.さらには,考えた末に設定した目的もあれば,ただ本能に任せただけで意識しない目的もあるだろう.自分で設定した目的であれば,その目的を達成するために,人は何かしらの努力をするものである.そして,そのために用いる手段がある.注意すべきは,手段が目的になってはならないということである.目的を達成するための手段のはずが,いつのまにか,手段のための手段となることがある.人生を楽しむためにお金を貯めるはずが,お金を貯めることが生き甲斐になる.幸せな家庭を築くために仕事をするはずが,家庭を犠牲にして仕事をする.重要な研究成果を世に知らしめるために論文を書くはずが,論文数を稼ぐために重箱の隅を突くような研究をする.民の生活レベルを向上させるために徴収した税金が,税金を予算通りに消費するための無駄な工事に費やされる.資産形成を目的として投資をはじめたのに,適性のないデイトレードに明け暮れる.

生きていく上で,利用可能な手段の数は多い方が良い.選択肢が多ければ,適宜の手段を採用できる.学校の勉強も手段である.手段であるはずの勉強を目的として捉えるから,訳が分からなくなる.ある学習塾のテレビCMに,子供が尋ねかけるものがある.好きな勉強だけではいけないのかと.子供はなぜ勉強しなければならないのかと.小学生の素朴な良い質問だと思う.しかし,昨今では,大学生がまじめにこんな質問をしそうなので恐ろしい.逆に問いたい.何のために大学にいるのかと.目的は何かと.

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