2001年10月06日(土)
強烈なゼミ

ちょっと長くなるのを覚悟で,自分の学生時代(学部4回生〜大学院生)のことについて書いてみる.これから研究室に所属する学生諸氏や既に研究室に所属している学生諸氏,特に,自分の実力を向上させたいと望んでいる学生諸氏の参考になれば幸甚である.

(1)研究室配属

大学3回生も終わりを迎える頃が,ちょうど研究室配属決定のシーズンである.3回生全員が希望する研究室を主張するわけだが,当然人気のある研究室には定員を超える応募がある.大学によっては定員を設定していないところもあるようだが,京都大学化学工学科(現在は工業化学科に統合)では定員が定められている.これも日本的平等主義の現れなのかもしれないが,教官1人に対する学生の人数が増えすぎると細やかな指導を行えるはずがないので,そういう意味では,定員制は合理的な制度である.ただし,個人的には,もう少し柔軟な人数配分でも良いとは思う.さて,定員を超える応募があった場合に,どうやって合否を決めるか.それが問題である.最近では学部の成績で機械的に判定するようになったが,私が学生の頃はジャンケンで決めた.プロセスシステム工学研究室を希望していた私は,ジャンケンで負けて,第2希望の反応工学研究室に配属されることになった.このとき非常に幸運だったのは,第2希望に空席があったことだ.

(2)4回生

反応工学研究室に配属された私は,大変良く実験はしたが,勉強はしなかった.実験のために徹夜を続けることも希ではなかった.自分でも頑張ったと思うが,まともな勉強はしなかった.そのために,今,酷い目に遭っている...では,待ち時間の長い実験の合間に何をしていたかと言えば,研究室にあった「三国志」全60巻を2回読んだ.ちなみに,自宅の部屋には,三国史関係の書籍がズラリと並んでいた.大学院入試で三国史から出題されていれば,超高得点であったに違いない.当時の研究室には週刊のマンガも数多く置いてあり,暇を潰すのに苦労はしなかった.

大学院入試は,現在と同様,8月にあった.7月上旬までは「プロセス設計」で大変忙しいので,多くの学生は7月後半から試験勉強を始めていたようだ.ところが,私は8月上旬のサークル合宿後に,ようやく本格的な勉強を始めた.それでも,奨学金を申請できる順位では合格できたのだから,院試なんてそんなものだ.

大学院入試と卒業研究を終え,4回生も終わりを告げる頃が,ちょうど大学院での研究室配属を決定するシーズンである.当時は,学部と大学院とで研究室を替わらなければならないという内規があった.研究室を替わるのは,幅広い知識を身に付けられるという点で非常に良いことだと思うが,現在では,学部と大学院とで同じ研究室に居座る学生が多い.私は再度プロセスシステム工学研究室を希望した.その年は,たまたま希望者が少なく,恐怖のジャンケンの洗礼を受けることもなく,希望する研究室に配属された.

(3)大学院[前半]

研究室に配属されると,まず,研究テーマと直属の担当教官が決められる.私の場合,希望通り,プロセス制御が専門のO助手(当時)のグループに所属することが決まった.修士1回生の間にあっさりと単位は揃えたが,それほど勉強はしなかった.そして,研究室生活も1年が経った頃,そのO助手は「じゃ,俺海外留学に行ってくるから」と言い残して去っていった.帰国予定は,修論提出も済んだ翌年3月.ハッキリ言って,これには参った.


ここまでの話から明らかなように,修士課程2年目の春までは,典型的な馬鹿学生であった.もちろん,ペーパーテストで点を稼ぐ能力がなかったということではない.問題なのは,自分の将来に対する明確な展望がなく,極めて好い加減で中途半端な生き方をしていたということである.こんな馬鹿学生を矯正できたのだから,当研究室の先生方は偉いと思う.

(4)大学院[後半]

修士課程2年目の夏.教授室に呼び出されて,「ゼミ開始」を宣言された.参加メンバーは,当研究室のH教授と私に加えて,そのゼミのために来て下さる他大学のO助教授の計3名.開催日は毎週土曜日.内容は「閉ループ系同定」.私に課せられた使命は,

  1. 論文1報(もちろん英語)を読む
  2. その論文を全文訳する
  3. 利用されている定理や式変形は,すべて証明する
  4. 自分でシミュレーションを行い,論文内容を検証する

というものであった.要するに,「1週間に1論文を完璧に理解せよ」ということである.しかし,この作業が洒落にならないほど大変であった.そもそも,システム同定に関する知識がなかったので,論文を読むより先に,テキストを読まなければならなかった.さらに,論文に書かれている意味不明の単語に出会うたびに,テキストの索引をチェックするのだが,手軽なテキストには載っていない専門用語が多い.その都度,適切に説明がなされているテキストを探して該当部分を読むのだが,途中だけ読んでサッと理解できるはずもなく,結局,そのテキストの大部分を読まなければならない.いつしか,洋書・和書を問わず,机の一方の脇にはデータ解析の専門書,もう一方の脇には数学書が山積みになった.その夏は,休みなんて全くなかった.土曜日の夜から金曜日の夜まで必死に頑張って,土曜日のゼミに間に合うように資料を作成するだけで精一杯だった.

非常に大変なゼミだった.しかし,先生方も大変だったと思う.忙しいのに,毎週土曜日を潰して,下手な日本語訳を読まされて,細かな点まで指導して.しかも,たった一人の学生のためにである.私が研究を行うための基礎を身に付けることができたのは,第一に,このゼミのおかげである.もちろん,すぐに自力で研究ができるようになったわけではない.それなりの研究ができるようになるまでには,さらに時間がかかった.

(5)現在 〜おわりに〜

学生と向かい合うとき,いつも考えるのは上記のゼミのことである.個人的には,幸か不幸か私の研究グループに所属することになった学生には,できるだけのことはしてやりたい.しかし,私がしてもらっただけのことを,全員にしてやることは不可能である.自分自身の研究もあるし,研究室全体のことも考えないといけないし,講義や実験もあるし,くだらない雑務も洒落にならないほど多い.悩みは尽きることがなさそうだ.

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