2001年03月24日(土)
大学で何を伝えるべきか

卒業式も終わり,研究室の学生もそれぞれ新しい環境に立ち向かうときを迎えている.彼らは,在学中に身に付けるべきことをしっかりと身に付けて,研究室を去っていくのだろうか.より基本に立ち返って問うとすれば,研究室に配属されてきた学生に伝えるべきことは何であろうか.これは,修士課程修了後すぐに助手として採用されて以来,いつも考える問題である.

個人的には,徹底的に考え抜く姿勢と,論理的な文章を正しい日本語で書く力とを身に付けて欲しいと考えている.

(1)徹底的に考え抜く姿勢

研究室に配属されてきた学生の頭脳は,その大多数が思考停止状態に陥っている.生まれて以来の詰め込み教育の弊害なのか,書物(教科書や論文)に書かれていることに疑問を持ったり,反論を試みたりすることがない.十分に納得することもなく,そのままを頭に詰め込み,何を聞かれても,ただただ読んだ内容を繰り返すのみである.レポートを書けと言われれば,丸写しするだけである.なるほど,ペーパーテストで高得点を叩き出す術は心得ているわけだ.しかし,そんな姿勢では研究はできないし,研究のネタを見付けることもできない.そんな学生の意識改革を行うために,徹底的に「なぜ?」という質問を投げかけることにしている.自分が常識と思っている事柄について,「なぜ?」と聞かれたとき,多くの学生は絶句する.そんなことを考えたことなどなかったからだ.しかし,答えられないということは,理解していないということである.このようなやりとりを通して,学生は徐々に「理解する」ということの意味を感じていく.大学での卒業研究は,実力を付けるための題材でしかない.徹底的に考え抜く姿勢を身に付けるために卒業研究などに取り組むわけであって,卒業研究の内容自体が重要なのではない.もちろん,卒業研究で世界トップレベルの研究成果を上げられるならば,それに越したことはないが.

(2)論理的な文章を正しい日本語で書く力

研究室配属された学生には,研究を進める上で必要不可欠な理論を勉強してもらい,そのレポートを提出してもらうことにしている.そのレポートには,支離滅裂な文章が酷い言語で書かかれていることが多い.まさに,読むに耐えない代物なのである.最高学府に在籍する者が書いたとはとても思えない.第一に,論理的でなく,誤魔化していることが明々白々である.試験ならそれでも点数が付くわけだが,研究室では許されない.第二に,正しい日本語の文章になっていない.本当に20年も日本人をやっているのかと疑いたくなるレベルである.恐らく,まともに読書もしていないのだろう.企業で指導的な立場におられる方々の話を伺うと,きちんとレポートを書く力が身に付いていないとダメだと異口同音に言われる.その力を身に付けるためには,ただただ練習するしかない.学生の実力向上を願う者としては,労を惜しまず,何度でも書き直させるしかない.

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